家族という、プライベートで他人が土足で
やみくもに踏み入ることの許されないテーマに対し、
経済学者を含む研究者は、これからどのように
向かい合っていくべきなのだろうか。私が
あらためて思い浮かべるのは、次の石川先生の言葉である。
「制度化された経済学の最大の弊害は、
方法論的無反省となる以前に、経済学者が
どのような社会的役割を果たすかについての
主体的意識が希薄化してしまうことにある
のではないだろうか?」
2010年2月
今朝の日経新聞「経済教室」について
詳細にご関心の方は
恐縮ですが
『人間に格はない』
をご覧いただければ
ありがたく。
今回の記事も
たいへん丁寧な編集を
していただきました。
スポーツ雑感_100217
一昨日、ある高校で講演したとき、
ふと12年前の長野オリンピックの
話を思いついた。男子ジャンプ団体
(結局、金メダルをとった、例の
原田選手の「ふなきぃ・・・」という
アレだ)。
ただ、競技そのものの話ではなく、
一回目のジャンプの後(日本は不振)、
天候悪化で競技中止になるかどうか
の瀬戸際の場面だった。そこで何人かの
「テストジャンパー」が競技続行可能を
証明するために、悪天候のなか、見事な
ジャンプを繰り返し、その結果、競技続行
日本が金メダルを取ったという話。
あのテストジャンプは、冬のオリンピックの
なかで、もっとも印象的だった場面の一つだ。
そう思っていたら、同じ一昨日の夜中にNHK
でその番組をやっていたらしい。見逃した。
帰りの新幹線で、宇野重規君のブログに
あった「オシムの伝言」(千田善、みすず書房)
を読みきる。オシム前監督が病に倒れた後の
回復過程で口にした言葉が「試合にいかなければ」
だったそうだ。
あまりの衝撃で、報道されれば、岡田新監督ほか
新チームに動揺と混乱が必至ということで、いっさい
その発言はシャットアウトされたという逸話が書かれて
いた。なんだか、泣けてきた。
自分にそれだけの執念があるだろうか。
人間に格はない②
今回の本にもいろいろと
思いいれはある。
装丁(カバー)も一つだ。
とても気に入っている。
装丁は、「まえがき」を受けて
編集者のMさんが、何度も現場に
足を運んで撮影したなかの一枚を
使ったものだ。
まえがきを読んでいただくと、その
意味をお分かりいただけると思う。
人間に格はない①
私は論文を書いて
「それがどのような政策につながるのですか」と
いったことを、石川先生から問い質されたことが一度もない。
政策、なかでも労働政策は、総合的な観点から判断し、
立案・実行されるものだ。 多くの前提条件にもとづく、
たかだか一本の論文からもたらされた含意などが、
そのまま通用するほど政策は単純でない。
では、政策に直結することが目的でないとすれば、
研究の目指すべきものとは、そもそも何なのだろうか。