代替

昨日の
日経新聞の記事のなかで
最後に
「働き方も、
労働で自らが提供していた価値のうち、
リモートで代替できない部分はどれか
を考えることが重要になる」
とあった。

すると
労働のうちリモートでは代替できない部分とは何か
という質問をいただいた。
ので、ちょっと考えてみた。

具体的にいえば
落語のうち、寄席で聴くのにはあるが、
ユーチューブやCDで聴くのにはない部分、
スポーツのうち、生の観戦にはあるが、
テレビやネットでの中継にはない部分、
などということだろうか。
そういうものは、きっとあるんだと思う。

こういうと、仕事でもそれは
芸ごとに限られるようにも思われるかもしれない。
それ以外では
食堂やレストランで食べるのにはあるが、
出前の宅配などにはない部分、
産地の食材のうち、地元で食べると感じられるが、
家で持って帰って食べてもちっとも感じられない部分、
とかになるのだろうか。
この例だと、そんなものないよ、思い込みだよ、
何よりコスパだよ、などとと言われそうで、
どうにも分が悪い気もしてくる。

医療、福祉、教育、娯楽などでも
本来リモートでいける部分は
もっとあるはず、
それが今回はからずも
明らかになったと
いった声もあるのかもしれない。

それでもあえて
広く仕事全般で考えてみると、
リモートで代替できない労働とは
なんらかの相手がいて、その人と
「場所と瞬間の両方を直接共有すること」
が必要だったり、そうでない場合よりも
価値があるものをいうのではないか。

たとえば、特定の相手に伝えたい
「とっておきの話」があるとき、
それはズーム、電話、メールなどで伝えられなくもないが、
それでも直に伝えたいし、聞きたいということもあるだろう。
それは記録に残せないとか、セキュリティの関係もあって
ということもあるだろうが、それよりもやはり
直に伝えることで、よろこんでもらったりする姿を
この目で見たい(確信)というのが、一番大きいように思う。

お金をもらえるのもうれしいが
一番よろこんでほしいと思っていた相手から
直接「ありがとう」といわれるのが
なんだかんだいって仕事の醍醐味というのは、
ありきたりと言われるかもしれないが、
それでも多くの人の労働にとって
最良の価値であるというのは、
今でも一つの真実なのだと思う。

ただそういうと、
「自分にはそんな特別のことや話など何もないよ」
と言われるのもオチだろう。
たしかにそんな特別な情報や経験を
誰もが持つのは、むずかしいのかもしれない。

けれど、
誰にでも起こり得ることで、
リモートで代替できないというか、
できることなら
リモートで代替しないほうがいい
と思われることが確実にもう一つある。
それは「ごめんなさい」の言葉と姿勢(許し)だ。

失敗したり、相手に迷惑をかけて
しまったら、できるだけすみやかに、
できることなら直接足を運んで、
(なにかのかたちで擬似的にでも近づいて)
心の底から謝るに限る。最初の一報は
メールや電話で伝えるとしても、
できることなら直接ごめんなさいを
いったほうがいい。それは、
どれだけリモートワークが支配的になっても
かわらない、労働の普遍な部分ではないか。

もしそうであるならば、労働のうち、
リモートで代替してはならない部分には
「まちがいをしたら率直に認めて心から謝る」
ことができるという
「お詫び力」とでもいうものが、
どんな時代や状況でも仕事で日々起こり得ること、
仕事で大事なものの一つとして、
少なからず含まれると思う。

もう一つリモートで代替できないことで
思いついたのは、緊急事態が起こったときの
対応(初動)の大切さだ。

平時ではオンラインで済ますことができたり、
今回のような状況でも、緊急事態に入った後は、
在宅勤務やテレワークでやれることも多いが、
問題は、そこに至るまでの
危機の真っ最中の過程での対応は、
どうにもリモートだけでは
多くの場合、限界があるように思う。

危機のその場にいる当事者同士が
なんとか集まってお互いに持つ限られた
情報を持ち寄り共有しようとする。
相手の様子や話しぶりを直に見聞きしながら、
お互いに覚悟を定めていったり、
反対にこの相手は信頼できないと
見切りを付けたりすることもある。

危機では「現場が大事」「答えは現場にある」
などといわれる所以(ゆえん)もそこにあるのだろう。
それをリモートで現場以外が状況を
わきまえず勝手なことを言いだすと
大抵ロクなことにならない。
危機時の現場対応力というのも、
リモートでは代替できない仕事の大事な部分の
一つだろう。

特段のことがなければ
リモートは気持ちも体も
本当にラクでこの上ないが
かといって、
いつもそうとばかりと
いってられないのが、
労働だとか、仕事ということ
なのだろう。

確信や許しを得ようとするとき、
ピンチに対ち向かおうとするとき、
「ありがとう」
「ごめんなさい」
「そうしますか」
は、距離が近ければ近いほうがいい。

他にもいろいろあるように思うが、
今日考えたのは、ここまでということで。