丸子

今シーズン入団した
ベネズエラ出身の
背番号10の
選手の名前が
どうしても
思い出せない。
記憶できない。

そこで考えた結果、
日曜夕方6時半からの
アニメ番組の
むかしの主題歌から
おぼえることにした。

ピー○ラ
ビー○ラ
パッパパラパ

と思ったら
あいだの○が
ネだったか、
エだったか、
思い出せない。

レだった。

10の0(レー)か。

音響

ラジオで
プロ野球中継を
聴いていると
ボールがグラブに収まる音や
打球音が
格段によく耳に響く。

必要なのは
しゃべらないで伝える
実況力と解説力なのか。

おそらくそれは
放送事故にならない程度の
間合いの芸
だろう。

今だけの楽しみ。

『地域の危機・釜石の対応(6)』

未来に希望をつなぎ、多層的に訪れる危機群に対応するには、
地域の関係者が自ら小ネタを語っていくことが求められる。
それはどうすれば可能となるのか。
特に話すことなどないと感じている人々は、
どうすればよいのか。

どんなささいなことからも小ネタは生まれる。
むしろささいなことこそ面白い。
取るに足らないと決めつけず、
知っていること、経験してきたことを、
即興で話したり、訊きあったりする。
ウケもオチもなくていい。
クスッとすることがあったなら、
とりとめなく笑い合う。
それをきっかけに、話題は思いもよらず、つながっていく 。

小ネタがあるところには人々のたしかな営みがある。
自然と耳を傾けたくなる小ネタには、
そこで暮らすことの悦びや哀しみがある。
それは活性化とは異なる地域に生きることの
リアルな価値だ。

人口の多いほうが話題は生じやすいかもしれないが、
自動的に生まれるわけでもない。
人が減っても、一人ひとりが日常を大切にし、
たまに誰かに語りたくなる何かがあれば、
小ネタは尽きない。

小ネタに事欠かない場所には、
たくましさ、潔さ、愛おしさがある。
そんな地域がこれからも生き残るだろう。

(続く)

東大社研・中村尚史・玄田有史編、東京大学出版会
『地域の危機・釜石の対応 多層化する構造』より
http://www.utp.or.jp/book/b508909.html
2020年6月30日発売

相談

ずいぶん
前だったと思う
のだけれど
大学の学生相談室で
働いていらっしゃる方の会に
呼んでいただき、
お話をさせていただいたことがある。

終わった後の
立ち話か何かで
「最近『五月病』はどうなっているんですか」
とうかがうと
「五月病は、なくなりました」
と言われた。
「え?」と
驚くと
「年がら年中病になりました」
というのが、そのときのオチだった。

入学や入社などで
新しい環境に身を置かれた人のなかには
なかなか馴染めない場合もあるだろう。
さらに今回、直接会って話を聞いてくれたり、
励ましてもらったり、励ましあったりということが
できない状態がまだ続いている。

オンラインでの授業、研修、コミュニケーションなどでも
どこか疎外感があったり、うまく溶け込めないこともあるだろう。
次第にオンラインにも参加できなくなって、そのまま
連絡が取れなくなっている場合もあるのかもしれない。

孤立しているという事実が、
実際に対面の機会ができたときに
その場にいないことで
はじめて判明したというのは、
なんとか避けたい事態だろう。

会社の人事や学校の学生担当の方などは
いろいろと個別にアプローチを
努力されていることと思うが、
直接会えないことで、
もどかしい思いをされているのではないか。

最近、全国の地域若者サポートステーションなどでも
オンラインでの相談にも力を入れているという。
遠距離で交通費がかかり、サポステにまで
行けなかった人には相談のチャンスが広がったことは
朗報だと思う。

一方、相談では、対面には対面の良さがやはりある。
以前に比べれば、相談の場所や機会、ツールも広がっている。
しばらくは限られた時間になるかもしれないが、
対面で直接悩みや不安を聞いてもらえる機会は増えてくる。

疎外感や孤独感に苛まれている方でも、どこかで
相性のいい話し相手や相談相手は、かならずいるので
ドアをノックしてほしいと思う。