睡眠

週に
何度か
大学の研究室に
電車で行く。

最近
気づいたのだが
以前と違うことが
一つある。

電車で眠くならない
のだ。

これまでは丁度いい感じの
睡眠タイムだったのが
まったく眠くならない。
なぜだろう。気のせいか、
電車の周囲の人もあまり寝て
いないような気がする。

理由としては
次の3つを考えた。

1.なんとなくまだ
緊張していて神経が
高ぶっているために
眠れない。

2.マスクをして寝る習慣
がないので、電車でマスクを
したままだとなんとなく
寝付けない。

3.全然疲れていないので
眠気が誘われない。

よし今日はこれを
ゲンダラヂオのネタに
しようと電車のなかで
考えていた。

すると
寝過ごして
起きたら
後楽園だった。

 

 

8月28日JPSEDシンポジウム

今週金曜
8月28日13時から
オンラインで開催される
リクルートワークス研究所
主催のJPSEDシンポジウム
『職場のハラスメントを解析する』
に参加することになりました。

詳細ならびに応募はこちら。
https://www.works-i.com/info/jpsed2020/

なぜ私が
ハラスメントのシンポジウムに
参加するのか。

たぶんこのためだと思います。
http://www.utp.or.jp/book/b479965.html

この本の10章に
「職場の危機としてのパワハラ」
という論文を書きました。

論文については、
川口章さんが書評を書いてくださいました。
https://web.iss.u-tokyo.ac.jp/crisis/pub/review-1-1/10.html

私は、
長い目でみて
人とつきあうことが
どんどん職場で
弱まっていることの
結果の一つが
近年のパワハラの根っこに
あると考えています。

 

三題

当時、私たち教師の研究室があったのは、
小さなアパートのような、
こぢんまりとした建物でした。
そのなかの一室だった公共スペースに、
みんながよく集まって、お茶やコーヒーを飲んだり、
お昼を一緒に食べたりしていました。

ある日の昼にふらっと立ち寄ると、
日本経済史を教えていらした大石慎三郎先生が、
出前のタンメンをすすっていらっしゃいました。
大石先生は、日本近世史の第一人者で、
NHKの歴史番組や太河ドラマの歴史考証などで、
当時たびたびお名前をおみかけしていました。

江戸時代研究の大家で、
それほど日ごろからお付き合いもなかった
七〇歳手前の大石先生に、私はそのとき
何故か突然たずねたのです。

「先生、授業にまったく自信がないんです。自分なりに
努力してやっているつもりなんですけど、多分、
学生には全然伝わっていないと思います。
先生は、どんなふうに講義されているんですか。」

大石先生は麺をすすっていた手をちょっと休め、
ゆっくりおっしゃいました。

「ボクは講義でも講演でも、
今日はアレと、コレと、コレを、
つまりは三つくらいしゃべろうかなと
思っていくだけです。それで始めてみて、
今日は反応が悪そうだから二つにしとこうとか、
今日はみんな聞きたがっているから、四つ目も
話そうか…。その程度です。」

毎回ほんとによく準備をし、せっせと講義用の
ノートをつくり、講義をしてきました。
何のため?学生に正しい経済学の知識をおしえたい
ためです。でも、本当はそうじゃなかったのです。
教えている内容がまちがっていると、学生から
非難されたりしないように、要は自分を守るため
だったのです。

その証拠に、私は授業中、
ほとんど自分のノートしか見ていませんでした。
学生がその内容にどんな表情をうかべているか、
私は関心がなかったのです。
前を向くことすら少なかったから、
どんなとき、学生はあくびをし、寝てしまうかなど
考えもしませんでした。

それからの講義では、今日話す三つは何にしようかと
考えるようになりました。
二年目からは、講義用のノートを持っていくことすら、
ほとんどやめてしまいました。

手ぶらで教室に来る私を、学生は最初、いぶかしげに
見ていたようです。そんなときは、
「自分がおぼえられないことを、おぼえろとはいえないでしょう」
なんて、今思うと、かなりキザなことをいったりしました。

そんな私が最近では、
人前でお話しすることを
とても楽しいと感じられるようになりました。
それもすべて、就職直後の挫折体験と、
大石先生から聞いた「三つ」が
大きなヒントになっていることは
まちがいありません。

玄田有史『希望のつくり方』(岩波新書)

 

 

建物

今日、
とある用事があって
目白の学習院大学に
うかがった。

学習院は
はじめて就職した大学で
10年お世話になった。

すると
1992年に就職したときに
研究室のあった
東1号館がすべて解体されていた。

すき間から除くと
がれきもいくつか見られた。
看板には新東1号館が
建設予定だという。

そこは
研究棟というよりは
小さいマンションというか
アパートのようなちょっと
不思議な建物だった。
研究室にベランダって
他に見たことがない。

『希望のつくり方』
にも書いた、
就職1年目に授業の仕方で
悩んでいたとき、
談話室で出前のタンメンを
食べていた隣室の大石先生から
「3つ」の教えを聞いたのも
この建物だった。

かたちある
記憶の断片は
確実に消えていく。
あらためて
感じた。

 

十六

朝、ラジオを聴いていたら
16歳からの相談を話していた。
コミュニケーションがうまく
取れないが、どうすればいいのか
という。

家族などのこともあるかも
しれないが、
おそらくは友だちなどと
うまくいかない、
友だちができない
といったことだろうか、
と思った。

昔、そういう質問を自分も
受けたことがあるなあと
思い出した。今だったら、自分なら
なんて答えるだろうかと
勝手に思ったりした。

人づきあいが苦手だと思う10代には親近感が湧く。

ひとつ言えるとすれば
「これから変わるから大丈夫。」
ということだろう。
変わるには、自分が変わるという
こともあれば、周りが変わるという
こともある。

実際、大人になって社交的だったり、
人と交わるのが上手な人のなかには、
10代の頃はあまり人と話さなかった、
人とかかわるのが苦手だった
という人が多いように感じる。

特に作家やアーティストなどの
活動の原動力には、かつて自分の
本当に伝えたいことが表現できなかったという
10代の頃にずっと感じ続けていた
「もどかしさ」
があったりする。

振り返ると、10代の頃の
コミュニケーションの中心には
言葉によるものか、そうでなければ
いっしょになにかをする、といった
のどちらかくらいしか、なかったように
思う。そのこと自体を、16歳が一人で
変えることは、多くの場合、むずかしいのは
確かだろう。

けれど、高校を卒業すると、人とコミュニケーション
をする手段や方法は、びっくりするくらい増えたりする。
言葉以外でも、いっしょにいなくても
コミュニケーションはいくらでもできることを
はじめて知ったりする。

先ほどの作家やアーティストであれば、
自分で何かの作品をつくるということが
コミュニケーションになったりする。
そこまでいかなくても、
黙々と働くこと、仕事をすること自体が
最大のコミュニケーションだったりもする。

それには努力ももちろんあるのだけれど、
場が代わると自然にコミュニケーションのあり方も
変わるものなので、大丈夫なんだよと、
伝えたい気がする。

それでも、今の
人に自分を理解してもらえない
という辛さは耐えられないという
16歳もいるのだろう。
ただ、それはじっと耐えるしかない
かもしれないし、それも案外わるくない。

耐えるといっても、
一定の諦めも持ちながら
本当の自分以外の自分を演じることも
将来きっと役に立つような気がする。
特に仕事をするときに。

それも難しいなら、
そもそも人とのコミュニケーション
ということに期待しない、
事実上離れてしまう、のも一つだろう。

ある編集者は、高校時代に
学校の図書館の本を全部読むと
決めたそうだ。本当に読んだかどうかは
知らない。よっぽど人付き合いができなかった
人だったのだろうが、今では出版界でも指折りの
コミュニケーターだ。

本でなくても、音楽でも、映画でも、
ゲームでも、ずーとかかわっていても
飽きないものが、見つけられれば、それも
どこかに何かにつながって、コミュニケーションの
きっかけになったりするから面白い。

何かを発信・表現することも
コミュニケーションだろうが、
何かを吸収・蓄積することも
実はコミュニケーションだ。案外、
10代に必要なのは後者かもしれない。

まあ、誰にも聞かれてもいないし、
どうでもいいんだけど。かくいう
自分も、高校時代の思い出す情景は
学校のベランダの塀に肘と顎を乗せて
ぼーっと外を見ていたことだったりする。