稲妻

昨晩は
凄い雷と稲妻だったが
今朝起きてみると
いきなり
夏の空に
変わっていた。

雷音のなかで
テレビを観ていたら
元陸上ハードルの選手だった
為末大さんが出ていて
次のようなことを言っていた。

「勝っている選手が
早くこのまま試合が
終わってほしいと思うと
大概負ける。」

勝っていない選手が
こんな試合早く終わればいいのに
と思ったとき、待っているのは
なんだろう。虚しさだろうか。

反対に
こんな人生や生活でも
生きていれば
そのうちなにか
面白いことでも
あるかもしれないと
なんとなく思えれば
思いがけず
本当になにかある
かもしれない。

希望とは
たぶん
そんなもの
かもしれない。

 

希望

今となっては
遠い過去のようで
あるけれど、
3月27日に
感染症拡大が
雇用、特に若年雇用に
与える影響について
ヒアリングの依頼があって
官邸に話しに行ったときの記録。
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/keizaieikyou/07/gijiyoushi.pdf

話の流れのなかで
突然思い立ち、
雇用の前に
希望の話をしている(13頁)。

それにしても、
くれぐれも総理が
「希望を皆さんに与えます」
といった表現はしない方が良い
といったことを
ご本人に向かってお話しするときが
来るとは思いもしなかった。

その後で
大事なことは、
国民一人ひとりが
希望をつくる力があり、
政治がそれを全力で支えることであり、
一人ひとりが希望を育んでいくのを応援すること、
というのは、
今もまったく変わらない。

調子

今のところ
特に予定もないのだが
今後オンラインでの
講演を頼まれたとき
どんな感じになるのだろうと
たまに想像する。

台本があってしゃべっている
わけでなく、
なんとなく会場の雰囲気で
ただ調子に乗って
しゃべっているだけなので、
どうすれば調子に乗れるかが
オンラインの場合、
正直よくわからない。

唯一なんとなく
共通するのではないかと想像するのは、
20年くらい前に
ラジオ講座の担当を
始めたときのことだ。

緊張したり、
うまくいかないことも
多かったのだけれど、
当時の担当ディレクターさんから
「誰か一人をイメージしながら話す」
ことの大切さなどを言われたのを
思い出す。

いずれにせよ、
講演そのものを
しばらくしていないので
そもそも最初から
うまくいくわけがないものだと
割り切るのが
なにより大事なのかもしれない。

給食

子どもの貧困
といった問題が
指摘されるようになって
久しい。

その点に今
もっとも関係しているのが
学校閉鎖によって
給食による栄養が摂れない
子どもが多数いることだろう。

子ども食堂の再開も見通しが
立たない。

授業の再開とは別にして
給食のみの部分的再開の方法は
ないものだろうか。

給食時間をずらす、
給食の席の間隔を空ける、
食事中の会話は控える、
換気に万全を期す、
給食を食べたらすぐに家に戻る、
友だちと一緒に登下校はしない、
通学のパトロールは保護者が行う、
など一定の条件がクリアされれば
実現可能にしてはどうか。

担任の教員も生徒の表情を
直にうかがえる
貴重な機会になるだろう。

給仕や調理などについても
近隣の飲食店の方に有償で
協力を仰ぐのもよいように思う。

既に検討している市町村なども
あるのかもしれないが、
気になったので書いてみた。

夏色

夏用の
マスクって
開発されたらいいな。

って
思ってたら
あるんですね。
失礼しました。

どうぞ
取りあいに
なりませんように。