内定

リーマンショックが
直撃した
2008年度の卒業生では
大学卒等を中心に
2100名以上の
内定取り消しが発生した。

それに対し
非公式な数字ではあるが
5月の連休明けの時点で
厚生労働省が把握している
取り消し数は
100名に満たない状況のようだ。

3月に事態が急変したために
取り消しに至っていないことも
考えられるが、
東日本大震災が影響した
2010年度卒の内定取り消しが
400名以上に及んだのに比べれば
やはり取り消しは
今のところは少ない。

ただそれでも内定が取り消された
卒業生もいるので支援は欠かせない。
新卒応援ハローワークのなかには
未だ業務を縮小していたり
電話相談の対応が中心の
ところもあるようだ。
きめ細かい早期の対応が望まれる。

あわせて気になるのは、
取り消しではないものの、
入職時期の繰り下げが行われ、
待機の状態で不安のままの新卒が
把握できているだけでも
500名以上に及んでいることだ。
繰り下げがその後の取り消しや解雇に
つながらないよう、細心の注意と対応が
こちらも必要だろう。

禁句

非常事態宣言以来、
個人的に
使うのはやめよう
と思っている
言葉がある。

「早く」

あっ、
使ってしまった。

開発

昨日、
TBSラジオの
久米宏さんの番組を
聴いていたら
昨年8月に放送された
尾身茂さんのインタビュー録音を
再放送していた。

そのなかで尾身さんは
感染症は
忘れた頃にまた必ずやってくるし、
かつこれからも減ることはない、
と既に断言されていた。

減らない理由としては、
人間が増えたこと、
人の移動が頻繁になったこと、
開発で野生動物と人間の距離が縮まったこと、
そして温暖化
を挙げていらした。

 

受容

〈待つ〉は、
人類の意識が成熟して
付加的に獲得した能力なのではない。
〈待つ〉ははじめから、
意識を可能にするもっとも基礎的な位相にあった。
〈待つ〉ことから未来は生まれ、
意識は始動したとすら言えるかもしれない。

たとえば、農耕文化の初期を想像してみる。
ひとびとは季節の反復をくりかえし経験しているうちに、
雨乞いをし、日照りを怖れ、収穫を待つようになった。

〈待つ〉はたしかに期待や予想と連動している。
ただ、期待や予想ほどに、現在につなぎとめられてはいない。
むしろ時のなかをたゆたい、なりゆきに身をまかせ、
ときに偶然に救われ、ときに偶然に裏切られ、
そのすべてを「さだめ」として甘受するという、
受動というよりは受容をこととしてきた。

〈待つ〉はそういう待機、
そういう受容としてあった。

――鷲田清一『〈待つ〉ということ』より

考察

感染症拡大が
仕事や生活に
もたらし始めた影響を
4月上旬時点で
考察したものです。
http://www.chuko.co.jp/chuokoron/newest_issue/index.html

雇い止めも懸念されるが
労働者自身が働きに出るのを
躊躇する「働き止め」が
今回の特徴でもあることや
2016年から取り組んできた
危機対応学から得られる示唆
たとえば
「ブリコラージュ」(やりくり・やりすごす)、
大きな決定は一週間以内でする、
緊急時に与えられた権限には事後評価が大切になる、
などを書いています。

その他、最後に述べた
「異常と変化への対応」
は今回に限らず
時代を超えたキーワード
だと思います。