SNEP (41)

玄田)
若者の自立支援で一つだけはっきりしていること
があります。それは、
「自立支援は一か所では完結しない」
ということです。
10年前は他に若者支援をする機関がありませんでしたので
ネットワークを活用した支援が成り立たなかった
のですが、今は成り立ち始めています。
と前回発言されました。とても関心があるのですが
そのあたりを、具体的な事例など、もう少し教えて
いただけませんか。
井村)
ハイ、ご関心を持っていただきましてありがとうございます。
まず「自立支援は一か所で完結しない」という意味には2つ意味があります。
一つ目は、若者の自立支援で若者の自立の課題となるのは
常に社会性の獲得である、ということです。
採用などの現場では社会性のことを「コミュニケーション能力」
とよぶこともあります。
この社会性は家や学校だけでは身につけることは難しく、
社会の中でしか身につけることができません。
社会というのはどこか特定の一か所の支援機関のこと
を指すわけではありませんので、「自立支援は一か所で完結をしない」
と申し上げました。
ただし、物事にはなんでも例外があります。
若者の自立支援が特定の一か所の支援機関で成り立っている
場合もあります。それは共同生活型の若者の自立支援機関です。
今から10年以上前の若者支援のスタイルは
ほぼ、若者たちに自宅を開放して寝食を共に
して一緒に成長する共同生活型の若者支援機関でした。
スタッフも含めて他人同士が同じ釜の飯を食べることで
家でもない、学校でもない社会を創りだし
若者たちの社会性を生活の中で育む、
最強の若者自立支援です。
先週は偶然、そのような共同生活支援を
30年以上前からされておられる、
ピースフルハウスはぐれ雲の川又直さん(富山県)、
はじめ塾の和田重宏先生(神奈川県)、
ため塾の工藤定次さん(東京都)に
別々にお会いする機会がありました。
その皆さんが最近
ネットワークの活用による若者支援に関心を示しておられ、
特に工藤さんは、
「我々は一か所で1~100までやるような仕組みを作ったけれども、
諸団体との連携をこれからはしていかないといけない、それが反省点だ」
とおっしゃっておられました。
若者の自立支援に長くかかわってこられた先輩方の
深いお考えについて私は知る由もありませんが、
若者支援に関わる人と、関心を持ってくださる方が増え、
若者支援にネットワークを活用してしよう!
という時代になってきているのは確かだと思います。
二つ目は、若者支援には、
「発見」→「誘導」→「支援」→「出口」→「定着」
という5原則があるのですが、
若者を発見し支援機関に誘導する役割をする方、
支援した方を就職など出口につないで、
定着の支援をする方、
という役割分担が成り立ち始めています。
具体的にどう成り立ち始めているのか、
の一例ですが、たとえば、やんちゃ系で更生保護を必要とする
少年が就労支援を求めていたとします。
関わっているのは、家族以外に保護観察官と保護司さんが
主になっています。
その保護司さんが支援情報の収集や就労支援を求めて、
少年の代わりに支援機関に電話をするときに、
支援機関の方から
「少年とはどういうご関係で連絡をされていらっしゃるのですか?」
と聞かれてしまうと、たいへん困るそうです。
保護司です、とか、保護観察官です、と少年との関係性を名乗ってしまうと、
更生のチャレンジ途中であるその少年に関するセンシティブな情報が
漏れてしまうことになります。
それが理由で他機関との連携は必要だとわかっていてもつながりづらい。
もしもそういうニーズがあったとしたら、それぞれのお役目、お立場や
組織の在り方、文脈なども踏まえて何が、どうできるか、を
若者の自立支援機関は泥臭く考えていき
「発見」→「誘導」→「支援」の連携を成り立たせていきます。
たとえば、進路未決定者が多い普通高校の担任の先生や進路担当部長さんが、
学校求人も減ってきて、生徒の就職がなかなか決まらない、
しかも特別な支援を必要とするような生徒も多い中で
卒業の時期が迫ってきている、他機関との連携が必要かもしれない、
とうっすらと思っていたとします。
他にも、中学校の先生が、不登校の生徒をクラスに3人も抱えてもいたら、
それぞれの個別対応をしたいと思っていてもとても回らない。
どこかとつながることができれば……と一瞬考えたとします。
これらのことなどに対しても、泥臭く、では何がどうなったら、
その連携を取ることが可能になるのか、を
様々なステークスホルダー(関係者)とコミュニケーションを取りながら、
探っていきます。うまくいけば、コストがほとんどかからず、
それぞれの専門性同士が響きあい、みんなが楽になり、成長しあうという関係が
生まれます。
長くなっていてスミマセン。。。
これらのネットワークを活用した支援についての詳しい内容につきましては、
2013年1月末に開かれる内閣府主催の、NPO等の民間団体において
青少年支援に当たる職員合宿研修会でもお話させていただく予定ですので、
より深くご興味のある方は、
内閣府青少年支援担当のところ
(内閣府政策統括官(共生社会政策担当))に
お問い合わせいただけましたら嬉しいです。
http://www8.cao.go.jp/souki/index.html
また、大阪の若者自立支援の老舗、淡路プラッツで先日創刊されました
『ゆうほどうマガジン』にも少し上記に関連することを
書かせていただいておりますのでご興味のある方は
お問い合わせいただけましたら嬉しいです。
http://awajiplatz.web.fc2.com/staff_book.html
井村良英

SNEP (40)

無業から抜け出すための
良い方法があります。
まず名刺をつくることです。
そこに自分の名前と住所
そして自分の会社もしくは
自分の職業を明記するの
です。
そんな実在しない会社を
つくってもいいの?
大丈夫です。その会社や
職業を始めるための準備、
その最初が名刺をつくる
ということです。
無業者には、「失業者」、正確
には完全失業者と「非労働力」
の二種類があることを以前お話し
しました。
仕事につくための求職活動をしていれば
失業者、そうでなければ非労働力という
ことになります。それにしても非労働力と
いうのは、あらためてすごい言葉だと
思います。ニートは、非労働力の一部です。
実は、ハローワークなどに通って
求職活動をすることの他に、開業の準備を
している場合でも、失業者に含まれます。
つまりニート状態にあった人が、自分で会社
をつくろうとすれば、非労働力から失業者に
かわる、つまりはニートから卒業ということに
なるのです!
名刺をつくって、実際になんらかの自分だけの
仕事を始める準備に入れば、それは履歴書にも
その期間「事業を開業するための準備」と記入
することができます。履歴書の空白もこれで
埋まります。
そして名刺をつくるだけでなく、実際に自分の
会社をつくっても、いいのです。昔に比べれば
会社をつくることの手続きや費用はグンと安く
なっているはずです。
会社をつくって収入や売り上げがなくても
心配ご無用。世の中には赤字の会社など
いくらでもあります。赤字を出していないだけ
立派です。
なんだか鼻をつままれた話のように感じる
方もいらっしゃるかもしれませんが、私は
意外に本気です。日本の働くことの最大の
問題は、自分で自分のボスになるという
気概をもって動く人が1980年代初等から
減少を続けていることだというのが持論です。
雇用者は実のところ、減っているわけではなく、
増え続けています。非正規雇用が増えている
から?と思われるかもしれませんが、雇用の
定めがない、もしくは一年を超える雇用契約の
常用雇用も2008年までは増えていたのです。
大きく減少しているのは自営業です。1950年代
には1000万人を超えていた自営業も2009年には
600万人を切りました。自営業の一部が大きく成長
することで、経済全体に雇用機会を作り出します。
そのシード(種)となる自分で事業を興そうとする
人がたくさん出てこない限り、雇用の持続的な
回復もありません。
まず名刺をつくる。そのために自分の会社の
名前を考えましょう。肩書きも自由です。私の
考えるスネップやニートを含む無業対策の一つ
です。

SNEP (39)

玄田)
この10年くらいで若者自立支援の業界も
大きく変わってきているように思います。
一方で、変わらずやり続けていることも
あると思います。
最近の若者自立支援の世界について、
井村さんはどのように感じていますか。
井村)
玄田先生、ご質問いただきましてありがとうございます。
まだ13年しかこの仕事をしていない私が先生のご質問に
お答えできるのか甚(はなは)だ心もとないのですが
頑張ってみます(笑)。
10年前の2002年から若者自立支援の世界で一番変わったと
現場の人間として実感できることは、若者の自立に関わる人が
急増したことだと思います。
「若者支援の話ができる人が急増した」と支援者の立場から
言えると思いますし、「支援を選択できるようになった」と
若者の立場からも言えると思います。これは本当に大きい
ことです。
13年前の1999年、日本全国で若者支援をされている方を調べ、
訪問して回ったことがあるのですが、当時は20団体あるかないか
くらいでした。
1999年はNPO法が設立された年でしたので
NPO法人として活動しているところもなく、
団体のかたちは任意団体とか、有限会社とか、個人事業主とか様々で、
世間的にも、正直マイナーな活動だったと思います。
誤解を恐れずに言わしていただくと、
世間的には全く注目されていなかったか、
一部の(心ある)変わった方々がされているよくわからない活動、
とみなされていたと思います。
実際、私も情報を求めるのにはずいぶん苦労しました。
当時、若者支援をしている団体の情報が載った書籍は
「個性的な人生を歩んでいる人」として取り上げられ、
書店では「オルタナティブライフコーナー」にあった
ことを今でもおぼえています。
今は、インターネットなどで「若者支援」と情報検索をすると
0.22秒で250万件以上ヒットをします(笑)。
10年前の若者は就職や自立ができないのは
本人の努力不足だ、
と思われていた節はありましたし、
若者が就職できないのは努力不足だから
自衛隊に行かせて鍛え上げろ、
という発言が社会的な立場のある方々から公言されていたような
時代でもありました。
今は、そういう発言をされておられた方が
若者支援に関する予算を執行されたり、
シンポジウムに出られたりして、
少子高齢化を迎える日本社会で
若者は次世代を担う大切な存在であるとして、
社会的に包摂していくための活動や発言を行われています。
また12,3年前には、
ひきこもりの方が起こした事件が大きく報道され、
「ひきこもりの人は犯罪者予備軍なのではないか」
と訝(いぶか)しがられていました。
実は犯罪者予備軍でないひきこもりや今でいうニート
の若者などがほとんどであることは、
保健師さんやケースワーカーさん、児童相談所の職員さん
の方々などや、そのご家族の方々といった一部の方々には
よく知られている状況でしたが、
自立を望む若者にどのように支援をしたらいいのか
誰もわかっていなかった時代であったともいえると思います。
今は『地域若者サポートステーション』
(15歳~39歳までの若者の職業的自立を支える厚生労働省
 委託事業。各地の若者支援を行うNPOなどが受託している)が
全国115か所に設置され、ハローワーク一歩手前の方に対する
相談援助が地域でできるようになったり、
また国だけでなく、市町村単位の一部の自治体でも
独自に若者支援を行われるようになったりと、
社会全体の問題として、若者の自立に関わる方々が
増えていることが大きく変わったことだと思います。
変わらずやり続けていること。
目の前にいらっしゃる方々に
一生懸命知恵を絞りながら関わるということは、
現場にいらっしゃるみなさん、私も
変わらずやり続けていると思います。
支援のテクニカルなところで
変わったところと言えば、
「ネットワークを活用した支援」
が成り立ち始めた
ということです。
若者の自立支援で一つだけはっきりしていること
があります。それは、
「自立支援は一か所では完結しない」
ということです。
これは変わりません。
10年前は他に若者支援をする機関がありませんでしたので
ネットワークを活用した支援が成り立たなかった
のですが、今は成り立ち始めています。
若者以外でも社会に暮らすものにとって、
支え手は多ければ多いほどいいと思います。
井村良英

SNEP (38)

就職支援の相談業務をされている方
からもお便りをいただきました。
お話からは、ひとすじ縄ではいかない現実が
見え隠れします。しかし同時に、広く支援現場で
働いていらっしゃる方には、少なからず共感いただける
内容だとも感じました。
 
それではご本人の許可を得てお伝えします。

SNEP・・・
そもそも私がお会いしている方々が
該当しているか?と「ん・・・・」と感じながらも
毎日、玄田先生のゲンダラヂオを拝読しながら
自問自答している時間がありました。
「無業」のほうが、実感値と共にイメージが付きやすいです。
まず、本日(注:6月20日・SNEP (36))のゲンダラヂオから
● 社会から孤立しているスネップが働けるようになるのでしょうか?
に対しては、「働けるようになる!!」私も同感です。
木村周先生の仰っている中で大好きな言葉が有ります。
「いつでも どこでも 誰でもが学べ やり直しがきく社会」の実現
岩舩展子先生((金属バット事件の頃からカウンセリングに
かかわり、主に家族療法などの幅広く実務家として経験値の高い先生です)も
「馬を水辺に連れて行くことは出来ても水を飲ませる事は出来ない」
とおっしゃいます。
それは自己責任論ではなく、本人次第、
本人が自分で決めて動かない限り
他人(家族も含め第三者(本人以外))は何も出来ない
とも実感しています。
井村さんの言葉の中にもありましたが
私の考えとしても
自助 共助 (左記を試みてそれでも難しければ) 公助 
自分で考えて何とか動き始めることで、共同作業 人との絆?が成立
するのかな・・・と。
ちなみに、
こちらにいらした時点で、「仕事を探す意思」はあることになり
「無業(ニート)」では、定義上はなくなるのでしょうが
「無業から抜け出そうとする人」「無業にしないこと」は
常日頃意識して対応をしています。
誰がいつなっても不思議はない時代です。
ゲンダラヂオの中にも書かれていたように
数年前から 年老いた両親を介護するために離職し
数年経過した方々にお会いすることが多くなりました。
働き盛りの40代、50代の男性もいますし
ときには20代の男性もいます。
比較的、持ち家の実家暮らしで未婚
親を見るということを離職の言い訳
にしているのかしら?と感じることもあります。
口々に、
「親の年金が無くなったら・・」
「死ぬしかないか・・・」等
他力本願かぁと感じることも残念ながらあります。
女性のほうは、働きながら介護をしている方が多い
ように感じます。
それから若年者で、早期離職をした一人暮らしの方々も
来窓されます。
・ハードワークで心と体が疲れた
・整理の方法がわからなくなり自己効力感が低下している
・本人の理想と現実のギャップが乖離
・メンタル面が弱く心が疲れている
・経済的な問題を抱えている
・家族との関係から心身ともに自立出来ない(発達課題有りの場合)
・生理的欲求 食事も満足に取れずに栄養不足から思考能力低下 
・家が無い場合
等々
生育歴は、本人が選択出来ず、与えられた環境により
残酷だなぁ・・・と感じることも多々あります。
その方の状態によって、支援の内容も全く異なります。
だからといって、支援者側が、一緒に同化することも
出来ないししてはいけないことだと自制することも必要です
(メサイヤコンプレックス等共依存関係になると危険です。)
故に、アウトリーチ的な方法は救える可能性もあるけれど、
依存性を高めて自立を阻害しないのかな?
とも感じてしまいました。
支援者の負担も相当高くなると思われます。
私も相談業務に携わった初年度は心身ともに壊れたので
以後コントロールをしてバランスを保つように心がけています。
それだけ、
「働くこと」=人の生涯を左右する可能性に携わることは
重いことであり、
相談員が抱えるには負荷が高く限界も有り
相当な覚悟を持って対峙することも有り
相談者を支援する側を支援する仕組みも
必要だと感じています。
私のほぼ同期で相談業務10年目のある男性の言葉です
「最近、自分のやっていることが、人の役に立つことでは
無いような気がしてどんどん気持ちが冷めてくる」
ただ
「働きたい」・・・本気で思っている方は働けると思います。
全力で支援が出来る体制も整っている場もあります。
本人と支援をする側が、お互いに自分(相手)の育つ(育てる)力を
信じることが出来るか、だと思います。
ときには、思い込みも大切です。
イメージコントロールをすることで
採用まで何人も導けた例があります。
一人ひとりの想いや価値観が、
自分のため だけではなく、人のために・・・と
「隣人を愛する」ことを良しとする世の中になると
「無縁社会」も無いのになぁと祈りたくなります。
とりとめがなさ過ぎますね。 
自分の整理のために書き連ねてみました。   

本気で「働きたい」と思っているか
信頼関係が築けるか
時折おとずれるある種の
「空しさ」といかにつきあうか
三番目の点については、以前
富山の川又直さんが言っていた
支援で必要なのは
「いいことしてると思わないこと」
だというのを、思い出しました。
いろいろ考えさせられる貴重な
お話でした。
ありがとうございました。

SNEP (37)

 私は、個人的には
 一人でいるということが 
 それほど嫌いではありません。
 むしろ好きなほうだと思います。
 私は、いまだに携帯電話を
 持ちませんが、その理由も
 つきつめると、一人でいられる
 時間、一人でいられる自由を
 得たいと、どこかで思っているから
 かもしれません。
 仕事で旅をすると、けっこう
 一人で出歩くことが好きです。
 会議中、ずっと関係者だけで
 ホテルで食事をしている人などを
 みると、なんだかもったいないなと
 思ったりします。
 一人で呑みに歩くと、むかしは目の
 やり場とかに困っていましたが、最近は
 ただぼんやりしていることに、なれて
 きました。いい意味でも、そうでなくても
 一人の時間に、いろいろ考えることが
 多いように思います。
 私ではなく、誰かがスネップについて語るのを
 知ったとしたら
 一人で、家族だけで、多いに結構じゃないか 
 と思ったかもしれません。
 しかし、これは希望学で学んだことでもありますが
 ずっと一人でいることは、希望を失わせることに
 つながります。すると、今度は、希望ってないと
 ダメなのかということになりますが。でも希望が
 あってこそ、失望もできる、そして失望を経た上で
 新たな希望に出会うといった、自分だけの物語も
 生まれます。
 希望はあればよいとか、希望とはつねに 
 すばらしいものだとは、私は思いませんが
 希望は何かを動かす原動力であることは
 まちがいないのだと思います。
 
 一人でいる、沈思黙考することはとても
 大事だと思いますが、そればかりになって
 しまうことも、さみしいことなのだと感じます。
 一人で呑むのも好きですし、だからこそ 
 たまに仲間と会って、ばか笑いしながら
 ダラダラ呑むのも好きです。
 なんだか、今日はスネップの話しから
 それてしまいました。