お便りが届きました。
○
私は現在、通所型の知的障害者福祉施設
に勤務しています。私が勤務している施設には、
養護学校や特別支援学級からの卒業者が
入所することが多いです。養護学校や特別支援学級の
卒業者が、私の勤務している施設のような福祉施設で
体験入所をして入所に至るのですが、重い障害がある
人の場合に、入所が拒否されてしまう場合があります。
具体的には、重い自閉症で通所が困難な場合や、
他の利用者に対する他害行為がある場合に
入所が拒否されてしまう場合があります。
やや一般的なことですが、障害者雇用で働いている
人が仕事を辞めた(もしくは辞めさせられた)場合に
自分の家で孤立してしまう場合が多いと言われています。
養護学校や特別支援学級では、卒業生に対する
支援をどのように行うかが一つの課題になっています。
あと、私の印象論的な考えですが、社会における
希望や期待感を生み出す力が減退していることが
SNEPを生み出す一因になっているように感じられます。
働いてお金を稼いでも、お店(市場)に魅力的な
商品がなく、がっかりしてしまうことが目立っています。
また、最近、大手テレビ局のドラマ番組が連続して
低視聴率で打ち切りになったように、自己目的による
商品・作品の作成により、市場に対する失望感が
増大しています。「自分の外に何か面白いものがある」
という希望や期待感が減退していることが、
SNEPを生み出している一因になっているように
思います。
最後に、支援者の一人として、孤立して無力化している
人を支え、力を回復させることができる支援者としての
力量を上げることができるように努力していきます。
追伸)
以前、生活保護を担当しているケースワーカーの
話を聴く機会がありました。現在、福祉事務所には、
様々な要因によって就労意欲を失っている人が
訪れているそうです。具体的には腰痛やうつ病など
の疾病や怪我を負っている人、家族関係に問題を
抱えている人など、多様で複合的な課題を
背負い、就労意欲を失った人が、福祉事務所に
訪れているそうです。多様で複合的な課題を
背負った人を、どのようにして支援するかが
課題になっています。
あと、貧困者を支援するシェルターを運営している
人の話を聴く機会が以前ありました。貧困者を
支援するためには、実態調査を行うことと、
支援者の力量を高めることが大切とのことでした。
貧困者の抱えている多様で複合的な課題を
把握するためには、貧困者の実態を調査し、
支援者の力量を高めることが大切です。
また、ある労働組合の集会では、就労が
人間関係の形成に結びつかない場合が多く
なっているとの話がありました。フリーターや
派遣労働では、同僚と関係性を結ぼうという
契機が乏しく、一人ひとりの労働者が孤立してしまう
事例が目立っているとのことでした。
SNEPイコール貧困者ではありません。ですが、
SNEPの問題を考えるためには、貧困という
問題を押さえる必要があると考えます。
○
障害の状況と孤立の関係は、統計では
分析できていないところです。
貴重なご指摘だと思います。
少し話しがずれますが、社会生活基本調査を
用いた分析では、受診や療養の時間が生活の
なかである人ほど、必ずしも強い傾向では
ありませんが、孤立無業にむしろ「なりにくい」
といった特徴がみられました。
健康状況を改善しようと「前向きに」受診や療養に
取り組んでいる人は、その過程で応援してくれる
いろいろな人たちに出会う機会も広がるということ
なのかもしれません。
反対に、健康がすぐれないにもかかわらず、何らかの
理由で受診や療養を断念している場合に、孤立の危険
が大きいのかもしれません。そこではご指摘のように
やはり貧困問題も影を落としているかもしれません。
これらの状況も、実態の解明が急がれます。
2012年6月
SNEP (30)
● 支援現場に来る人とは
その時間に一緒にいるわけですが
ということは、その人たちは
スネップではない、ということに
なるのでしょうか?
スネップ研究に用いた
総務省「社会生活基本調査」の
説明に基づき、お答えします。
社会生活基本調査では、「一緒にいた」を、
普通に会話ができる距離にいることだと
しています。その意味で支援現場で
ふつうに会話をしているということで
その場合、孤立していない、スネップではない
と思われるかもしれません。
ただ、社会生活基本調査では、普通に会話を
するとしても、相手が「仕事上の行為」である
場合には、一緒にいることには含まないと
しています。例として、受診や治療のために
お医者さんや看護師さんと会話をするのは
あくまで仕事上の行為であるために、一緒に
いたとは、みなさないことになります。
コンビニなどのレジで会話をしたりする場合も
やはり一緒にいたということにはなりません。
同じように、ハローワーク、サポステ、ジョブカフェ
などで相談しに来た人が、そこで担当者と会話を
したとしても、一緒にいたということにはならない
のです。その意味でスネップ状態の人が支援の
場に来るということは、概念上、あり得るということ
になるわけです。
ちなみに、支援現場に来たことをきっかけになり、
そこで仕事上の行為を超えて、友人関係ができて、
個人的に相談に乗ったりするような関係になった
場合には「一緒にいる」とみなすこともできるかと
思います。
社会生活基本調査では、15分単位で生活を
記録することになっていますので、友人として
15分以上会話をする関係が成り立っていると
すれば、その場合、その人はスネップではないと
考えてよいのではないかと思います。
まずは15分間、友だちとしてとりとめのない
話をできる関係づくりが大事です。
SNEP (29)
玄田)
質問です。スネップへの支援としては
どのようなことが大切だと思いますか?
井村)
統計でみるとスネップは家族型の方が
「本人が焦りにくい」という
理由で心配な状況なんですねー。
若者の自立支援の現場でも
一人で頑張らないといけない人よりも家族の
庇護のある方の方がエンジンのかかりがゆっくりだ、
というのは同じだなと感じました。
ただ、私たちが出会う若者は若者支援の現場にやってくる若者です。
思いの差はあれ、「今の状況を何とかしなくっちゃ」と
ある程度エンジンがかかった状態でいらっしゃいます。
なので、現場支援者の感覚としては、何とか自立に向けて動き始めた後、
家族という大きな支え手を望むことができない一人型スネップの方の方が
大変だなぁと感じてしまったのだということに気が付きました。
全くエンジンがかかっていない人、
「今の状態を何とかしなくっちゃ」と思う状態にない人、
はお手伝いをされることを望んでおられない方々だと思いますので
私たちには、「もし何とかしなくちゃ、と思った時に思い出して欲しいです。」と
将来選択できる情報をお伝えすることくらいしかできないと思います。
でも、そうやって提供した情報を持って、
例えば2年前にお渡ししたチラシや、
3年前の新聞記事を持っていらっしゃる方は
実際におられますので選択できる情報を
事前に何らかの形でお伝えしておく、
ということは意味のあることだと考え
活動しています。
「スネップへの支援としてはどのようなことが大切ですか?」と
先生に尋ねていただいて若者支援者としてまず最初に思ったのは
10年前デンマークをぶらぶらしていた時に聴いた、
「デンマークでは成人すると親の子への扶養義務はなくなり、
代わって国に責任が移るんだよー」という言葉でした。
今風にいうと、
「家族による私的な扶養ではなく、社会による公的扶助を行う」という
ことでしょうか。
家族が守ればひきこもりが増え、社会が守ればホームレスが増える、
などといわれることもあるようで、私はただの若者支援者ですので、
国家の仕組みについて語ることはできませんが、
家族による扶養に期限を決めるということはスネップへの支援として
大切であると思います。
昨日の読売新聞の夕刊では、社会福祉がご専門の
日本女子大教授岩田正美先生が、家業を子が継承することが
珍しくなかった時代には、家産を継承するものが老親を
扶養することが自然だと見られるような実態もあったけれども、
今は雇用されて働く人の割合が増え、その実態が変わりつつある
ことを指摘されておられます。
社会が変わっていっているのであれば、
支援も変わっていかなくてはならないのではないかと思います。
また、社会的に孤立している方が社会に参加する能力を持っておられたとしても、
最初で最大のハードルとなるのが「社会性の獲得」です。
これは一般に「コミュニケーション能力」などと表現される
こともあります。
若者支援を約30年されておられる、
富山のピースフルハウスはぐれ雲の川又直氏は
「親や学校は教育機関なので、本人を守るために
最後は許してしまうけれど会社や地域社会はそうはいかない。」
と若者の社会性の獲得が家庭教育や学校教育の中では
なかなか身につきづらいことを
昔から指摘をされておられます。
孤立している若者たちを支援していると、
この「社会性の獲得」ができる場を得られるということは
今や当たり前のことではなく、贅沢なことなんだなぁと思います。
(実際大学生の就活の支援などをしていても社会性を獲得していく
ことができる要領のいい子からやっぱり受かっていきます)
この「社会性の獲得」ができる場を
どのくらい多様に作っていくことができるのか、
これがスネップへの支援として次に大切になってくることかと思います。
最後に「寄り添って、つながる」ということもスネップへの支援
として大切だなぁと思います。
昨日、家族が支えきれなくて心配な状態にある若者の所在が
分からなくなりました。
何か事件に巻き込まれてはいないだろうか、そんな心配も募ったので
その若者が住む地域の民生委員さんに連絡を取ったところ、
その若者が安全なところにいることが分かり、ほっとした、
ということがありました。
その民生委員さんは地域で、24時間、
その若者に「寄り添って、つながって」くださっています。
スネップがどこにいるかもちゃんと知っておられます。
私たち通所型の若者支援者には到底できない寄り添いをされておられるので、
「現場力、到底かないません。。。」というと
「私たちは地域でなんかあったら私たちが困るからやっているのよ!」
「それよりあなたみたいに地域に住んでいなくても関わってくれる人が増えて
助かるわ―」とまでおっしゃって下さいます。
私はスネップの状態にある方を支える方が増えれば増えるほど安定する
のでは、と思います。
関西大学臨床心理専門職大学院の石田陽彦教授が
「公助を求めると国がつぶれる、自助を求めると自殺が増える、
大事なのは共に助け合う共助」といつもおっしゃいます。
共に助け合えるための一員と少しでもなれるために
今後も勉強していきながら活動を続けていきたいと考えています。
たちかわ若者サポートステーション
井村良英
○
「社会性の獲得」
「寄り添って、つながる」
「支える人が増えれば増えるほど安定する」
スネップ支援の大事なヒントをいただきました。
SNEP (28)
原田正純先生がお亡くなりに
なりました。心よりお悔み申し上げます。
本当の支援とは何かについて、
水俣病の歴史から学ばなければならないことが
まだまだたくさんあります。
○
スネップの第23回で紹介した
たちかわ若者サポートステーションの
井村良英さんからメールをいただきました。
スネップについてのご自身の感想も
述べられていたので、井村さんの許可を
得て紹介します。尚、そのなかで触れられている
方々からもご紹介の許可をいただいています。
○
玄田先生
お元気ですか?
たちかわ若者サポートステーションの井村です。
先日はHさんとの対談をブログで取り上げて
いただきましてありがとうございました。
「スネップ」と聞いてまず思い出したのが
Hさんたちのような、家族という支え手の
いない若者たちのことでした。
私も若者の自立支援の仕事をするまでは、
「スネップ」の状態にある人に触れ合うことなかったので、
知る機会はないけど知ってみたい、
という方に現状をお届けしたい、と考えていました。
その想いを受け留めていただけたようで嬉しかったです。
なぜ、孤立している方に通常はなかなか出会うことができないのか。
それは、孤立している方ができるだけそのことを知られたくない、
何とか克服するまでは!と思って過ごしておられるから
だと私は思います。
私が勤めているたちかわ若者サポートステーションは
厚生労働省からの委託事業ですが、
年間延べ利用者は8000人を超えています。
ハローワーク一歩手前の若者(15歳~39歳)が
職業的自立のための相談にやってくるのですが、
Hさんのように社会的に孤立している無業者の方たちも
多くいらっしゃいます。
最初は孤立していることはわかりません。
Hさんも対談の中で、
一人でどのような一歩を踏み出してよいのかがわからなくなり、
自暴自棄になってしまった事がある、
と告白されておられましたが、私たちが出会う
それらの方々はまるで、
負うことのできない荷物を背負わされて歩く荷物の運び人
のようだなぁと感じることがあります。
先日、17歳の少年から
「3日間ご飯を食べていません、助けてくれませんか。」
と電話がかかってきました。
その少年は2歳の時から児童養護施設で暮らしていましたが、
お母さんはいます。
彼は高校を中退しているのですが
中退してしまうと、実は児童養護施設では
暮らしていくことができません。
住むところもなく、頼る人もない中で連絡をしたお母さんに
「あなたにできることは何もない」
と言われ、私たちのところに電話をしてきました。
Hさんとの対談の中でもちらりと話が出ていますが、
「2週間ご飯を食べずに過ごすことは死ぬより辛いことだった」
とホームレス時代のことを教えてくださった31歳の男性がいます。
その彼も実は故郷に家族がいますが頼ることができない事情があります。
若者支援の現場にいても、家族が家族を支えきれない時代に
来ていることを感じています。
そして家族という支え手がなくなった時に、
背負わされる荷物が突然あまりにも重くなるということも。。。
家族という支え手がいなくなること、
家族がいたとしても支え手となり得ないこと。
想像しづらいことかもしれませんが、実は
誰の前にもあることだと若者支援の現場で感じています。
先生はいかが思われますか?
井村良英
*17歳の少年、31歳の男性からはお話を伺った時に
お話を公開する許可を得ています。
○
スネップには、
家族しか頼りにできない「家族型」
と
家族すら頼りにできない「一人型」
がいます。
私は、井村君から話をうかがう前は
より深刻なのは、実は家族型ではないか
と思っていました。
というのは、家族型スネップは、
仕事を探していないことも多く、
インターネットなどで社会とつながっていることが
抜きん出て少ない傾向があったからです。
それに対して、一人型スネップは、
統計的には、非孤立無業以上に
職探しをしたり、インターネットを活用している
ことも多かったからです。
しかし、統計はあくまで全般的な傾向を
明らかにするもので、一人ひとりの違いを
知るには限界があります。平均すれば
職探しをしたりしていることも多い一人型
のなかにも、働くことをあきらめている人は
少なからずいるのです。
統計の数字の裏に隠された苦しさ、
井村さんの言葉を借りれば、家族からも
孤立し、たった一人で
「負えない荷物を負わされているかのような
苦しさ」を感じている人たちの姿を
見過ごすところでした。
井村君、貴重なお話をどうもありがとう。
ゲンダラヂオでは、支援現場などで
日々スネップ状態の人たちと向かいあって
いる方の実際の声をご紹介させていただければ
と思っています。実名でも、匿名でも結構です。
ぜひともスネップについてご意見やご感想を
genda_radio@yahoo.co.jp
までお寄せください。
SNEP (27)
スネップのなかには、もうこれ以上
迷惑をかけたくない、できれば放って
おいてほしいという気持ちや感覚が
一部にあるかもしれない、という
ことを書きました。
あまりに現状が厳しいときや
過去に何度か状況を変えようと
努力して、それでも何も変えることが
できなかった経験を持つと、
そのような気持ちになりやすいのかも
しれません。
しかし、私は何度でも、どれだけでも
迷惑はかけていいのだと、思います。
支援現場を、もっと利用する、迷惑を
どんどんかけてほしい。
この10年をみていて、困難な状況にある
特に若者を支援する体制は、驚くほどに
整備されてきました(もちろん完全では
ありませんが)。
支援の現場で活動を続けている人たちは、
スネップ状態にある人たちから相談される
ことを、迷惑どころか、ずっと待っていると
思います。
もちろんすぐに一気に状況を変えられること
ばかりではありませんが、それでも社会から
孤立した人たちに伴走しながら、同じように
悩みながら、状況を変えていくという経験を
積み重ねてきています。
そのなかで、人間はどんなに苦しい境遇
からでも、他人の助けをときに借りながらも、
自らの力で状況を少しずつ変えていくことが
できるのだということを、体験しているのです。
やや大げさな言い方をすれば、人間が自ら
変わっていくことができる力が備わっている
ことに感動をおぼえることも多いのです。
ですので、ぜひとも迷惑とか、恥ずかしいとか
考えることなく、まずは相談に行っていって
ほしいと思います。行ってみて、状況が
変わらなくても、あきらめることはありません。
最近は、探せばいろいろ相談できるところは
あります。「どこかウマがあう」人に出会うこと
ができれば、確実に状況は変わっていきます。
本人がまだ望まないとすれば、家族や知り合い
が相談に赴くのでもかまいません。
最後に、もう一つ、スネップが増えるとなぜ
問題なのか、について。
以前、ウィキペディアで「玄田有史」を見たら、
「玄田のニート問題に対する主張は、ニートの
増加は将来社会的コストにつながるということの
ひとことに尽きる」といったことが断言してあって、
ちょっと驚くというか、笑いました。へー、そうなんだ
と思いました。今は、なぜか、その書き込みは
なくなりましたが。
たしかにニートにせよ、スネップにせよ、これ以上に
増加を続け、自立して生活ができない人が増えていく
ことは、財政赤字が危機的な状況にある日本では
なんとか避けなければならないことだと、思っています。
そういう意味では、スネップも、個人や家族の問題に
とどめることなく、社会の問題として考えてほしいという
思いはあります。
それから長期的には、日本は人口減少によって確実に
働き手が不足する状況が待っています。経済の活力を
削ぐだけでなく、社会保障の担い手も足りなくなります。
そのためにも働き手を一定程度確保することは、とても
重要なことです。ここ最近、60歳以上の就業者は着実に
増えつつあります。一方で、スネップが表すような働き盛り
の無業者は、どんどん増え続けているのです。
働きたくても働けない主婦(主夫)の問題解決とならんで、
スネップの問題解決は、働き手を確保するためにも
大事であることは、やはり言っておきたいと思います。